北海道民であれば一度は見たことがある「こども環境情報紙エコチル」を発行するなど、幅広い活動を展開している株式会社アドバコムの臼井純信氏にお話を伺いました。
広告代理店出身。子どもや環境、教育とかそういうキーワードが未来志向の中で見えた。
― 経歴を教えてください
臼井 18歳で高校を卒業して、札幌の広告代理店に就職しました。たまたまご縁があって入社した会社が、広告代理店だったというわけで、当時は広告代理店と旅行代理店の違いすら分からない状態でした(笑)ただ、自分で苦労して作り上げた広告が世に出て、その広告に色んな方々が触れて色々な行動を起こして頂いたり、良いイメージを持ってもらったりだとか、そういったやりがいを凄く感じて三か月後にはこの仕事で僕は一生やっていくんだという覚悟を決めましたね。
― 起業に至ったきっかけはありますか?
臼井 仕事は楽しくやりがいもあったのですが、利益追求やシェア争いの一方で、生まれも育ちも北海道なので何か自分の生まれ故郷というか、地域や社会に役立つような広告とかコミュニケーションに関することをやりたいと言うのが漠然とあったんですね。しかし、サラリーマンなので会社の考え方や方針が当然ありますから、それなら自分が社長になるしかないという風に考えて24歳でこの会社を設立し、社名はアドバタイズメントとコミュニケーションの造語でアドバコムとしました。
― 起業後、すぐにエコチルを発行することになったのでしょうか?
臼井 いや、最初からエコチル事業の構想というかアイデアがあったわけではないんです。きっかけになったのは27歳の時に結婚して、それで直ぐ子どもを授かったんですね。初めて父親になるという立場になり、色んなワクワクドキドキとかプレッシャーとか不安な気持ちの中で、これから誕生する子どもに誇れる仕事がしたいとか、何か子どもの為になるような、何かこう未来志向というか、それまでは自分達とか目の前のことばかりで過ごしていたんですが、未来を考えるようになったんです。そういうことをぼんやり考えていくと、子どもや環境、教育とかそういうキーワードがいくつか出て来て、最終的に「エコロジーチルドレン」なんだなということでエコチルを思いついて、実現しようと。なので、長女がエコチルとほぼ同い年なんですよ。
― 一緒に成長しているんですね。
臼井 長女を授かってなかったら、エコチル事業は多分この世に無かった(笑)
― 何か変化がありましたか?
臼井 もう価値観が180度変わりました。それははっきりと言えますね。
― 子ども未来を考えた時に、一番不安だったのが環境だったということでしょうか?
臼井 そうですね、これから将来どうなっていくんだろうと。当時はまだエコと言う言葉が当たり前の時代ではなかったんですけど、すでに温暖化の問題とか、色々心配されている事ではありました。
― エコロジーと子どもの教育を結び付けた事業をしていこうと思った時に、周りの反応はどうだったんですか?
臼井 「すごいね」「いいね」と言う意見ももちろんあったんですが、一方で「それは無理だよ」「良いことだけど、事業としてやっていくのは難しいよ」という意見が圧倒的に多かったですね。
― 最初からフリーペーパーを作って小学校に配るというのが構想として決まっていたんですか?
臼井 エコな子ども達を一人でも育みたいというコンセプトだったので、学校教育と連携して誰でも気軽に無償に手に入れることができるものを考えました。
― 最初の一校目というのはどうやって導入に至ったのでしょうか?
臼井 準備期間に1年かかりました。基本的には一民間企業が作った情報誌を学校教育の現場で配布するなんてことはまず前例が無いと、そんなことは出来ないといういのが大半でしたね。
― そこで諦めないで進んでいったそのエネルギー源は何なんですか?
臼井 やはり自分が子どもを授かって親になる。先ほど言ったワクワクドキドキとちょっとのプレッシャーと、だけど子どもに誇れる仕事をしたいとか、次世代によりよい未来を残したいだとか、今まで思わなかった感情というか情熱みたいなもので凄いエネルギーが沸きましたね。
― その情熱が届いた?
臼井 そうですね、会ってお話した人は5人とか10人とかの話では無いので。本当に藁をも掴むような思いで、諦めないで続けると最終的に「あゝこう言いうことが出来るかも」とか、この人紹介してあげるとか、気づいたら応援団が増えていました。最初は本当に一個一個回りながらの話でしたけど、2006年4月の創刊時にはほぼ札幌からですね配布に協力して頂ける状態にはなりました。
― 今札幌だと何部出しているんですか。
臼井 札幌で今8万8千部ぐらい。札幌以外も、北海道は全域に配布しています。あとは東京23区。それと横浜市ですね。それで毎月78万部ぐらい。